1912(明治45)年、後期印象派の影響をうけた若い画家たちの展覧会「フュウザン会第1回展」が東京・銀座で開かれました。 岸田劉生(1891-1929)も、「曇日」「自画像」など14点を出品しました。
当時、日本画家の鏑木清方に学んでいた小林蓁[しげる]は、この会場に来て、岸田の作品に感銘をうけます。 やがて文通がはじまり、翌年7月に2人は結婚。蓁は妻として、時には気むずかしい要望にこたえるモデルとして、岸田の生活と芸術をささえる良き伴侶となりました。
この「画家の妻」は、岸田がドイツの画家デューラー(1471-1528)に傾倒していたころに描かれた作品です。デューラーは厳格なまでの写実をもちいた画家。 肌や頭髪の質感にいたるまで、こまかく描いた表現にデューラーの影響が見られます。
この作品で蓁は、左手を胸におき、祈りをささげているように見えます。背景のビロードのような赤色、本物そっくりに描かれた画面上部のアーチ型のふち飾り、左下の「PORTRAIT
OF SHIGERU」の文字、「R.KISHIDA」の文字がはいった紋章。 これらの描きこまれた事物は、作品に中世ヨーロッパ風の宗教画的な味わいをつけ加えています。
(出典 「生誕110年 岸田劉生展」図録 (東京新聞)
|