昭和のはじめの文芸界では、大正期前衛運動が芸術革命から革命芸術への転回を示し、プロレタリア芸術の隆盛を見つつあった。そうした時代状況にあってヨーロッパの新しい芸術思潮を次々と吸収し、キュビスム、末来派風からクレー風の詩的イメージへと作風を変えていった古賀春江は、親交のあった前衛詩人竹中久七らの科学的超現実主義に影響され、「超現実主義私感」において、芸術と現実の関係、その社会的意義を仮設している。
それによると、現実の不満が芸術という超現実を生み、現実は弁証法的に進展していくという大前提から、「対象が実感の世界のそれであっても、それは寧(むし)ろその実感の世界を消滅すべき素材としての形象にすぎない」超現実の表現においては、「情熱もなく感傷もない純粋の境地」へと、対象への直接的欲求を排する自己消滅が目的化され、超現実主義はそのための理知的構成法とされている。混沌の内的現実を体系だてることなく漂わせてきた画家は、以後、主観性を排除した体系化に静寂を求めていった。その作例である《海》の画面を構成する近代科学の時代の新しい事物の非情のモンタージュには、陰影のない抒情が感じられる。
(出典 文化遺産オンライン・東京国立近代美術館ホームページ)
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