藤島武二(1867-1943)は、現在の鹿児島市の藩士の家生まれ。洋画を志したいと思いつつも、10代後半は日本画を学びました。この日本画の勉強は、のちの作風に大きな影響をあたえています。1890(明治23)年、23歳のとき、藤島は洋画に転向しました。さまざまなアトリエに学びながら、明治美術会の会員になり、展覧会に出品しています。3年間、三重県津市で中学教師として勤めたのち、おなじ鹿児島出身の洋画家黒田清輝の推薦で、東京美術学校助教授の職を得ました。
1905(明治38)年、38歳のとき、藤島は、フランス、イタリア留学に出発しました。当時のパリは、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなどの大規模な遺作展が開かれるなど、美術界は活気に満ちていたのです。彼はこの留学を通してヨーロッパの伝統を学びます。そしてその伝統を自分なりに消化し、油絵具の質感を生かした力強い画風へと変化していきました。
この「耕到天」は藤島晩年の代表作です。山頂におよぶまで開拓された田畑がつづく日本の風景を描いています。この作品は緑、茶色、黄色、ピンク色とさまざまな色と形の色面で構成されています。自然のおりなす美が、大きな視点から堂々ととらえられています。
(出典 「大原美術館と私」 藤田慎一郎 画商・山本孝さんとの対談より)
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