19世紀には、サロンなど公の場に展示される裸婦は、極度に理想化されたプロポーションと滑らかに仕上げられたテクスチュアを与えられ、直接的な官能性を隠蔽するべく、神話やオリエントといった設定に置かれていた。しかしその一方で、個人の寝室向けに制作されたいわゆる「閨房画」や版画では、エロティックな行為や娼婦のイメージがあからさまに描かれることも少なくなかった。クールベなどは、こうした裸婦を取り巻く二重構造を敢えて破壊するかのように、しばしばサロンに理想化されない「醜い」裸婦を出品して、物議を醸したのである。
《眠れる裸婦》は、窓辺の寝台で眠る裸婦を描いた閨房画だが、ジョルジョーネやティツィアーノ以来のヴェネツィア派の「風景の中の裸婦」の系譜に属するとされてきた。しかし、ここでは、寝室の裸婦という私的な情景が、画家の故郷フランシュ=コンテ地方の風景が見える窓辺に置かれることで、田園のヴィーナスなどとは異なる現実性が強調され、観者はこの裸婦のいる寝室という私的な空間を覗いているのだということを強く意識させられることになる。しかも窓にはカーテンが掛けられ、寝台を取り巻く赤い天蓋が裸婦を提示してみせるように、窓の風景もまた提示されている。クールベがその作品中でしばしば裸婦と風景とを同一視する傾向を見せていることを考えれば、室内の裸婦と窓外の風景とは、共に男性たる観者の眼差しにさらされていることになり、相互にその眼差しの効果を高めていると考えられよう。
田園の中でまどろむヴィーナスに淵源を持つこの《眠れる裸婦》は、裸婦と風景とが窓によって繋がれたことにより、神話性をはぎ取られ、窃視的な効果を高められたのみならず、自然と女性両方への観者の欲望が呼応し合う性格を帯びることになったに違いない。このあとクールベは、この作品と同じように窓の前の寝台に横たわる裸婦を繰り返し描くことになる。 (出典 国立西洋美術館ホームページ)
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