水戸市生まれ。はじめ軍人を志すが肺結核のため断念。画家になることを決心し、1906年、白馬会研究所に入るが、翌年太平洋画会研究所に移り、中村不折、満谷国四郎に師事。09年第3回文展で褒状を受けたのを皮切りに、文展を中心に高い評価を得た。
彝は1914−15年の大島滞在中、この《大島風景》を含め数点の風景画を残している。遠景の山並み、中景の建物、近景の樹木という構図は、彝が影響を受けたセザンヌの構築的な風景画を思わせる。しかしその構築性は手前の樹木の荒々しいタッチによって乱されている。ここには快復しない自身の病や中村屋の相馬俊子との恋愛感情のもつれから大島へ向かったという、彝の心の揺れが反映しているのだろうか。
(出典 文化遺産オンラインホームページ)
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