聖母マリアが十字架より降ろされたキリストの亡骸を抱えてその死を嘆くという「ピエタ」(嘆きの聖母)の主題は、本来福音書の中には記載のないものであるが、西欧カトリック美術、ことにドイツ、フランスにおいては中世末期を中心に好んで採り上げられてきた。そして、19世紀後半のこの時代、実証主義的・物質主義的風潮全盛の中で、その精神的支柱を伝統的カトリシズムに求める芸術家たちによって、この主題は新たな生命を吹き込まれる。そうした作品の先駆をなすものとしては、ドラクロワがサン=ド=デュ・サン・サクルマン聖堂に描いた壁画(1843-44年)があるが、モローの手になる本作品もまた、この時代としてはまれにみる敬虔な宗教的感情を漂わせた作品である。
サロンへの初出品作(1851年)以来モローは10点以上の「ピエタ」を手掛けたが、本作品は、小品ながら、岐阜県美術館の作品(1856年)やフランクフルトのシュテーデル美術館の作品(1867年)などとともに、単にモローの作品というだけでなく、近代におけるこの主題の代表的作例のひとつということができる。モローの特徴をよく示す、彫琢された宝石細工のように精巧な画面に描かれた悲しみのマリアと死せるキリストとの頭上には、精霊を象徴する鳩が翼をひろげ、背後では二人の天使が顔を寄せ、キリストの勝利が暗示されている。モローは終生母親を愛し続け、傍らを離れることはなかった。この画面に画家のそうした心情の投影を見ることも、必ずしも無理なことではないだろう。
(出典 国立西洋美術館ホームページ)
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