ヨルダン川でイエスに洗礼を授けたヨハネは、ユダヤの王へロデが兄弟の妻へロデアを娶ったことを非難して牢に繋がれた。王は処刑をためらっていたが、王妃は納まらず、王の誕生日に連れ娘のサロメが舞を披露したのを機に、その褒美としてこの聖者の首を求めさせた。名高いこのヨハネ斬首の逸話は、19世紀になってサロメ自身にヨハネの首を求める動機があったと解釈され、サロメは男性を破滅へと導く世紀末のファム・ファタルの代表となっていく。モローもまた、このユダヤの王女自身に、聖なる者を打ち負かそうとする邪悪な女性の力を仮託した画家のひとりであり、そのサロメ像は、オスカー・ワイルドを始めとする世紀末の文学や美術に多大な影響をもたらした。 1870年頃、モローは洗礼者ヨハネの生涯に基づく複数の場面を連作として構想していたが、それはやがてサロメの舞踏と聖者の斬首という二つ独立した場面へと収斂していった。
《牢獄のサロメ》は、そうしたヨハネ斬首のヴァリアントの一つである。空間を縦に仕切る中央の柱にもたれるようにしてサロメは立っている。うつむいたその視線の先には、これから首が載せられる筈の盆がある。柱の右手には、上へ昇る階段と刑具がレンブラント風の光の中に浮かび上がり、左奥では、今まさにヨハネの首が打ち落とされようとしている。全体の構図は、モローが1873年に友人の画家ウジェーヌ・フロマンタンの娘のために描いた《聖マルグリット》と酷似している。
(出典 国立西洋美術館ホームページ)
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