1870年代末から1880年代にかけては、他の印象派の画家たちの場合と同様、ピサロにとっても一つの大きな転換期であった。モネ、ルノワール、シスレーらが参加しなかった1881年の第六回印象派展はその象徴であり、この時期から印象派の画家たちは、それぞれ独自の道を辿りはじめた。1870年代末に活動の行き詰まりを感じていたピサロは、それをいくつかの試みによって突破しようとする。一つは版画の試みであり、また一つは新しい主題の分野での試みであり、さらには、ゴーガン、スーラ、シニャックといった若い世代の画家たちとの交流による新しい技法の探究であった。この《立ち話》も、そのような新しい探究の現われの一つであり、技法的に見ると、 1880年代後半に彼がスーラの影響下に採用する点描技法の前段階がはっきりと窺われる。また主題的には、それまでの風景に代わって人物が中心となっている。
この作品は1882年の第七回印象派展に展示されたが、そこに出品された36点のピサロの作品中27点は、本作品と同様、ポントワーズ近郊の農民の姿を描いたものであった。これら農民を描いたピサロの作品は、しばしばミレーの農民画と比較されるが、ピサロは、ミレーのように農民の姿を劇的に理想化することはせず、その姿をなんの誇張もなしに日常的な姿態の中に描き出している。しかし、それ故にピサロの農民像は、ミレー以上に、真実らしさと親密感を示してくれる。加えてピサロの農民像に感じられる特徴は、人間とそれを包む込む自然の緊密な関係であり、そのことは、人物と道や樹々といった自然の対象を描くタッチの扱いに殆ど違いの見られない本作品にも当てはまるであろう。
(出典 国立西洋美術館ホームページ)
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