東京生まれ。本名乙次郎。太平洋画会研究所に学んだ後、1912年、岸田劉生、斎藤与里らによるフュウザン会の結成に参加、表現主義的な作風で注目を浴びる。大正に入ると、鮮やかな色彩は影をひそめ、木炭のみの平明な写生画を多く描いた。 切り通しの中を走る線路を俯瞰的な構図におさめたこの作品は、とりわけ黄、緑、朱のタッチを同心円状に連ねた画面上部の太陽と空の表現から、ゴッホの影響が指摘されている。ギラギラとした陽光が照りつける土手と線路に織り込まれた原色の数々。それらが渦をなして幻惑的な風景を生み出している。しかし、土手と線路を形成する短いタッチの積み重ねは、画面の下方に行くに従って長いストロークに変化し、それはやがて左下に疾走する電車のスピード感と一体化するであろう。この作品において涼花は、ゴッホなどから色彩を借りながら、都市化の象徴ともいえる電車を、太陽に向かって突き進むイメージとして描き出したのである。
(出典 文化遺産オンラインホームページ)
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